「君の名前で僕を呼んで」ルカ・グァダニーノ監督【感想&ねたばれ】
これを観るのは3回目。
実は少し前まで留学に行っていて、自分へのお土産に、この映画のDVDを購入した。ヨーロッパは、LGBT+への理解が進んでいて、訪れたDVDショップにはLGBTコーナーがあり驚いた。
それと同じくらいに驚いたのが、DVD一本あたりの値段が安い!(^^)!日本語字幕はないが、DVD二本で10ポンド(約1300円)
舞台は1983年、北イタリア。
主人公、17歳のエリオは、アメリカで教師をする言語学者の父と、多言語話者の母との間の一人息子。父は毎年、博士課程の学生を別荘に招き、アシスタントをさせる。今年やってきたオリヴァーに、最初、エリオは嫌厭するが、徐々に彼に対し抑えることのできない感情に駆られていく。
一番最初に観たときは、テンポに乗れず、うんともすんとも、なんというかはっきりせず、いい映画だったとは思えなかった。自分はLGBT+を支援していて、日本のBLへの認知と同性愛への認知にどうしようもない苛立ちを感じている。 それは多くの日本人がLGBT+に関心がないだけでなく、偏見と無知を抱えていると思っているからだ。そして、無意識のうちに、予告を見たときもBL好きが発狂しそうな映画だとか思った。
エリオは、両親から受け継いだ語学力、そして古典や文学へ興味があり、さらに作曲をするなど音楽への才もある。
Wikiには、「~成熟した知性豊かな子供に成長した。」とあるが、私はエリオが「成熟した(成熟している)」とは思えない。17歳という一番面倒くさい年で、それのわりには大人のような考え方をする、思春期はただ単に本人にとってもうざいと思う。
製作費は3億円。安っぽい、古臭さがある映画だと思っていたが、そんなにお金がかかっていた。安っぽいと思っていたころの自分は、今より感受性がヤワだったと思う。
今、この映画は、とても美しく、繊細で、政治的で、これからでも何度も観れると思う。
原作では、舞台は1987年、エイズが問題になってからの物語で、映画では問題になる前が舞台だ。だから、同性愛が問題視されることが中心でない、恋愛初期の恥ずかしい歩みがこの映画で観れた。
多言語話者の魅力にまた気づいた。
イタリア語を話せたらいいな。
この映画でほかに何を感じたか。いつか、自分の言葉で、考えの100%に近い、映画評論を書けるようになりたい。
参考
モールス〈マット・リーブス監督〉ねたばれ&感想
クロエ・グレース・モレッツの幼少期の映画なんですね。彼女のことは「キックアス」での印象が強いのと、「彼女が目覚めるその日まで」で昏睡状態になり続ける病気(?)を持った少女を演じていたのを思い出しました。後者の映画はまだ見れていないんですが、ホビットでトーリン・オーケンシールド役を務めたリチャード・アーミティジに一時期ハマって、その時調べてでてきた映画だったっていう( ´∀` )
今度機会があれば見てみたいです。
話がそれましたが、今回観た映画は「モールス」
ホラー、サスペンス。一言で言うと”意外”でしょうか。
出演者、予告編なしの初見で鑑賞しました。最近は外れの映画を最後まで見る元気がなくて、一時間半でちょうどいいホラー映画を無意識に選択しました。
誰かが救急車で運ばれていくシーンから始まり、パトカーと思われる車内から前方を走行する救急車がみえるのですが、その合成感といったらB級の匂いがすごくて、早速萎えてしまいました。
中心登場人物は、顔立ちが特徴的なオスカーと、クロエ・グレース・モレッツが演じる謎の少女アビーです。
12歳のオスカーは体が小さく、学校で「女の子」と呼ばれいじめられ友達もいませんでした。ある日、隣の部屋に、父親らしき男性に連れられ、引っ越してきたオスカーと同い年のアビーは、靴を履いておらず、オスカーは最初、不信感を抱きました。アビーが自分と同じで孤独だと知り、心を開いて接していきます。
あるとき、オスカーは二人で誓いを立てようとアビーを誘います。オスカーが親指を切ったのをみて、アビーは豹変し、地面に垂れたオスカーの血を舐めます。アビーは人間の血を吸収して生きるヴァンパイアだったのです。アビーの姿はあどけない少女ですが、実際は何十年も変わらない姿で生きていたのです。父親らしき男性も、父親ではなく、アビーの恋人(?)で、男性が子どものころからアビーと一緒に暮らしていたのです。オスカーは彼女の正体を知り、驚き、一度は拒絶しましたが、男性が事故で亡くなり、身寄りのなくなった彼女を受け入れいます。
アビーがオスカーのもとにやってきて、「中に入れて(Let me in)」というのですが、これが原題のようです。
なんていうんでしょうね、怖いんですけど、最後まで観てこれは恋愛映画だったのかなって思います。
最終的に、オスカーはアビーを連れて、子どもだけで家を出るんですが、アビーはこんな感じで、何人も子どもの恋人を作って、何十年も生活してきたんでしょう。
どことなくハリウッド感のある、普通の映画だなと思いましたが、最後まで楽しめたので自分的には高評価ですね。
あん、河瀨直美、感想。
先日、久しぶりにDVDを借りました。しかもいつもは観ない邦画、題名は「あん」、奈良出身の、河瀨直美が監督を務める映画で、どのような話なのだろうと楽しみに観ました。
「あの人、ライじゃないかって」
突然、この言葉で固まってしまった主人公。私は何のことだかさっぱり分からなくて、すぐに調べました。ライとはハンセン病、極めて感染率の低い病だが感染すると最悪の場合、手や足がもげてしまう病気のことでした。
そこから、映画はハンセン病患者の社会的な地位を考えさせられる展開になっていき、ハンセン病を患った人々がこれまで受けてきた不当な扱いや、社会から差別されてきた彼らの心の内が映されていました。
私は今まで、ハンセン病という言葉すら知りませんでした。
この映画を観た後、ハンセン病患者の多くは70~80歳の今、あと20年も経たないうちに彼らとともに、政府が行っていた彼らへの隔離政策も忘れられて行ってしまうのではないかと思いました。彼らの多くは、政策によって人権を侵害され、子どものころから隔離され、人間でいいるという概念さえ保証されてこなかったのです。そんな人たちがいなくなってしまっている今、それを私たちが忘れてしまっては、私たちは同じ過ちを繰り返して、悲しいことに、再び社会から切り離される人たちがでてきてしまうのです。現代ではハンセン病への治療もできているのもあって、そのような人たちは数を少なくしていますが、それと同時に認知度も落ちてきてしまっています。私もその一人でした。
今回のこの映画「あん」の公開で、多くの人々にハンセン病患者への認知と理解をさせたのではないかと私は思います。
「ブラックレイン」B級のハズレ映画ーネタバレ
「ブラックレイン」
大雨のせいで、田舎のバスステーションに足止めされた、子どもを含む男女8人が、雨の中に潜む恐怖に怯えるストーリー。
ものすごくはっきり言います、この映画はハズレ映画です。観たい人は観ても構いませんが、時間の無駄だったと後に気づくでしょう。
ホラー映画のくくりにあって、DVDの表紙が見えるように置かれているものは、ホラー好きなら誰しも借りたい衝動に駆られます。私はその商法で借りてしまいました。
映画を選ぶときは、ネット上のレビューを参考にして、観るものを選びましょう。
最初の15分くらいは、他の映画と同様に進行してました。しかし、だんだん、話の内容にヅレを感じたり、違和感を覚えるシーンが目立ち始めて、最終的にはホラー映画がギャグ映画に展開していきました。
映画の概要は掴めていました。(ここからネタバレです。)雨の中に潜む恐怖とは、男にも女にも髭が生えてくるという恐怖です。確かに恐怖ですけど、何か、ずれている気がして、結局最後まで観れませんでした。
エンディングで髭面になった人たちがどうなったのかは、分かりませんが、別にどうなってもいいと、興味が無くなっていました。
映画製作するにはたくさんの人材が必要で、一人一人に役割があって、それぞれが協力して映画を作ります。そんな映画を作る側が、共通して、したくないと思っているのが、視聴側が「ああ、もういいや」と思わせてしまうことなのではないかと、私は、この映画を通して気づきました。
この映画を例に、自分が映画を作るときは、ちゃんと観る側にも立って、映画を作ろうと思えました。
いやぁ、酷いね。
ホテルオーナー「龍崎翔子」のセブンルール:感想
最近、セブンルールという番組を毎週観ています。セブンルールとは、日本で活躍している”今最も見たい女性”が主人公で、彼女たちの仕事と魅力について紹介する番組です。
今回は7月10日に放送された、ホテルオーナーの龍崎翔子さんのセブンルールを見て思ったことついて書いていこうと思います。
現在22歳にして、5つのホテルオーナーであり、現役東大生なのですが、最初聞いたとき驚きました。
19歳の時に東大を一度休学して、お母さまといっしょにホテルを開業したそうです。最初はとても大変だったようなのですが、わずか3年でここまでのキャリアを積み上げられたことは本当にすごいなと思います。
彼女が経営しているホテルは、「HOTEL SHE,OSAKA」「HOTEL SHE,KYOTO」「HOTEL KUMOI」「THE RYOKAN TOKYO YUGAWARA」「petit-hotel#MELON富良野」と、どれもかっこいい名前で外国人向けでもあると思いました。
普通は一番目のホテルが成功したら、「○○ホテル2」みたいな感じで、同じ雰囲気のホテルが全国に広がってるというイメージなのですが、彼女は地域独特の環境、風土に合わせてホテルの雰囲気づくりをしています。それは、地域の雰囲気をホテルでつぶしたくないという彼女の思いがあるからこそ、できているものなのだと思います。
彼女はホテルのオーナーとして働く傍ら、「習う」ということを怠りません。彼女にとって「学習」と「習う」は別物だそうです。理由は「学習」とは、自分の好きな分野を独自に学ぶことで、「習う」とは、人から教えてもらい、客観的に学ぶことなのだからだそうです。
自分の好きな分野「ホテル経営」を学習しながら、客観的な視点で別のことを習う。自分のしたいことや、目的を見失わないようにコツコツと歩むための、彼女なりのルールなのですね。私はいいと思います。
もう一つ、彼女にはあえてミーハーになるというルールがあるそうです。
人をもてなす職業として、この方法を取るということは、とても賢いことだと思います。今現在の流行を取り入れると、多くの人が注目しやすくなるからです。そうすることで、次第に次世代のスタイルを担うことも、できるようになります。
駆け出して早くも成功に近い場所にいる彼女。その成功の裏にあるのは何より、彼女なりのホテルに対するこだわりと、お客様を思う心。
そんな人物が経営するホテルに泊まりたいという人は多いのではないのでしょうか。私もいつか、泊まってみたいです(⌒∇⌒)
「The Purge、The Purge: Anarchy」アメリカの現実を映す
まず初めに、「The Purge」をサイコ・サスペンスのエネルギーとして観られる方へ。
私はこの映画を見て、アメリカの貧困さと銃環境について思い知らされました。
私は基本的に洋画を好む人間で、ハリウッド映画といえばアメリカ、アメリカといえばハリウッド映画でした。文字通り、ハリウッド映画の多くはアメリカの良い面ばかり映されています。それだけを見ればアメリカは画期的でカラフルで日本よりも魅力的な国に見えます。
しかし、実際は貧困によるホームレスへの政策、銃に対する国民の意識を見れば一目瞭然。アメリカの映画にできない部分がわかります。
他にも、人種問題、保険や医療サービスの欠如。大量消費など。我々が見えていなかった問題も多いのだと知りました。
この映画はアメリカ国民も黙視しがちな現在進行形で起きているそんな問題を映していると言えます。
「The Purge」でのパージでは、イベントに対する万全な対策を家に備えられるほどの経済力がある上級な家庭の家族が中心に話が展開されました。
この話の展開の中で私の感じたことを率直に言うと、ホームレスの人たちが浄化という名目で抹殺されるだけという胸くそ悪い結果だったということです。ただ一人、パージに疑問を持った女性が助かっただけだったのも理由に挙げられます。
これにより、次作の「The Purge: Anarchy」を観る気が失せてしまってました。
映画業界の商業法、次作の「The Purge: Anarchy」のさらに次作がすでに出ていることを知り、私はまんまと見てしまいましたが、お恥ずかしいながら観てよかったと今思います。
「The Purge: Anarchy」では、パージに対する下層市民の革命のお話です。ほかのハリウッド映画では優雅にうつくしく映されていたされ部たちが、悪役に回っていたのが良かったです。革命はこの映画において次へのステップになるはずですから、次作に期待です。
唯一思ったこと、シビルウォーはアメリカの国民性の発端だった。
私はハリウッド映画でアメリカが好きなった人間です。そんな私がアメリカについて考え直す機会になった映画でした。
"The Neon Demon"の感想
前回書いた、”Concert”は本当は観る予定ではなかったのを覚えてますか。あの後、"The Neon Demon"に代えてもらい、念願かなって観ることができました。
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観た方ならわかると思われます。この映画は最初から最後まで狂気と恐怖に満ちていると。
若さと美しさが求められる水商売の一つ、モデルという職業。
美を持つ者の代償。
この2つが、"The Neon Demon"の狂気を生み出しています。
序盤、田舎からやって来た16歳のジェシーは、熟練のモデル業界人達を圧倒する美しさと輝きを持つ初心な女の子でした。表向きでは華やかできらびやかなモデルたちが生きる実際は過酷な世界に、彼女は見る見る飲み込まれていきます。そして彼女が、少女から美を纏った大人の女に変化し、そこから一気に嫉妬の的に。
2人のモデル、サラにジジ、ジェシーが唯一信用していたメイク、ルビー。周りにいた3人の女たちが豹変し、ジェシーの美しさをわがものにしようと彼女の前に現れます。
このあとジェシーがどうなるか、実際に映画を観られるのをお薦めします。
この映画を観て、とあるバレリーナが「バレイ社会の人間とは仲良くしない」ということをルールにしていた訳がわかりました。バレイやモデル、俳優といった見た目を売る、いわゆる水商売の世界。勝ち上がっていくには、周りをけり落としていくしかない社会ですから、全員敵と思って生きていくほうが楽なのでしょう。
映画内に登場するモデルたちはみんながみんなと比べられ、美しさが存在価値として認識されています。見た目で人を判断するという言葉は、この社会では当然の事。
ジェシーのような女の子が授かった美しさ。彼女たち、美しさを持つものは、永久にその美しさを求められます。美は「憧れ」「注目」「人気」といったプラスのことになりますが、「嫉妬」「偏見」「強姦」といった美の代償にもなりえます。
ジェシーは映画中、神秘的な変化を遂げ美しさが増しましたが、美の代償の一つ「嫉妬」の的になりました。彼女がなぜ変わったかというと、美しくなければ価値はないという、美人への「偏見」に従ったからです。男からも女からも「強姦」される危険から誰一人信用できず、孤独になってしまいました。
そして孤独になった彼女を待ち受けていた映画の結末....
これにより、美しいがただ単に美しいまま終わらないということが、映画を通して伝わってきました。
この映画の評価は、評論家の意見に限らず、多くの意見は良いものではないです。
王道を逸れゆっくり進行する話の内容と、微妙な変化の積み重ねという点から、飽きてしまった人もいたはず。さらに、登場人物達の、人間の美を望む本能が醜くなるほど剥き出しになっていた点や、血やグロテスクな描写に、胸糞悪い。観るのがしんどいといった意見も予想できます。
美を求められる主人公たちの精神的な痛みと、嫉妬が具現化した肉体的な痛みが並行して展開している点。同性愛、人種問題、宗教問題、戦争をテーマにした映画とは違う、社会派の重い内容。この2つが、私は"The Neon Demon"という映画の魅力だと思います。
"The Neon Demon"のDVDのタグには、ジャンル:ミステリー(神秘、不思議)と書かれています。しかし私は、映画の結末より人間の精神以上にサイコなものはないと感じました。そのため、この映画はサイコミステリーサスペンスホラーのジャンルに振られるのがいいと思います。lol
最後に、ゲーム・オブ・スローンズの狂気に慣れている、私の様にティーンでサイコな人間で、フリーの映画ジャンルに対応している少数の方に、この賛否両論ある映画をお薦めします。
初めて予告編を観ましたが、王道でない映画に王道の予告編は合いませんので、心の準備ができるようもっとサイコに編集しなおしてもらいたいですね。
おっと、コメント欄にネタバレ魔がいたので、王道予告編をお望みの方は注意。
こちらが私が見たほうの予告編、正しくはクリップです。
それでは、良い映画人生を。Have a niceFILM←嘘や。